2 労働時間の通算が意味するもの①――通算を前提とした割増賃金の支払い
割増賃金の問題には、あえて言及しない。「副業・兼業の促進に関するガイドライン」にも改定前には、そんな抑制した姿勢がみられた。労働時間は通算するとはいうものの、副業や兼業の場合に割増賃金の支払いが必要になるかどうかは一般社会の常識に委ねる。後にみるように、労働時間そのものの解釈と関わるものではあるが、例外的な場合を除き、割増賃金の支払いを不要とする解釈も不可能ではなかった。
しかるに、改定後のガイドラインは次のように述べ、単刀直入に割増賃金の支払いが必要になるとする(引用箇所は、3 企業の対応 (2)労働時間管理の一部)。
エ 時間外労働の割増賃金の取扱い
(ア)割増賃金の支払義務
各々の使用者は、自らの事業場における労働時間制度を基に、他の使用者の事業場における所定労働時間・所定外労働時間についての労働者からの申告等により、
・ まず労働契約の締結の先後の順に所定労働時間を通算し、
・ 次に所定外労働の発生順に所定外労働時間を通算することによって、
それぞれの事業場での所定労働時間・所定外労働時間を通算した労働時間を把握し、その労働時間について、自らの事業場の労働時間制度における法定労働時間を超える部分のうち、自ら労働させた時間について、時間外労働の割増賃金(労基法第37条第1項)を支払う必要がある。
(イ)割増賃金率
時間外労働の割増賃金の率は、自らの事業場における就業規則等で定められた率(2割5分以上の率。ただし、所定外労働の発生順によって所定外労働時間を通算して、自らの事業場の労働時間制度における法定労働時間を超える部分が1か月について60時間を超えた場合には、その超えた時間の労働のうち自ら労働させた時間については、5割以上の率。)となる(労基法第37条第1項)。
ガイドラインでは、「自らの事業場の労働時間制度における法定労働時間」といった言葉が多用されており、文意をつかみにくいものとなっているが、要するに「通算した労働時間について、法定労働時間を超える部分のうち、自ら労働させた時間」(上記の二重下線部分)について、時間外労働の割増賃金の支払いが必要になる。こういいたいのであろう。
しかし、これでは、A社(法定労働時間=所定労働時間というシンプルなケースを仮定)のフルタイム労働者がB社で副業すると、B社における副業時間は自動的にそのすべてが割増賃金の支払いが必要な時間になってしまう。そのような労働者をはたしてB社は雇うであろうか。同じ仕事を同じ時間してもらっても、本業の時間次第で、割増賃金の支払いが必要になったり、ならなかったりする。そんな賃金制度に割増賃金をもらえなかった労働者が納得すると、本当に考えているのであろうか。
身近な例を挙げれば、本務校のある教員を非常勤講師として雇うと、本務校のない教員の場合に比べ、手当の額が割増賃金の分高くなる。そのようなことになれば、いわゆる専業的非常勤講師は黙っていまい。同一労働同一賃金以前の問題として、そんな制度が保つわけがない。そうした声も、筆者の属する教育の世界では聞く(注3)。
「世間は活きて居る。理屈は死んで居る」(勝海舟/江藤淳・松浦玲編『氷川清話』(講談社学術文庫、2000年)338頁)。一口にいえば、勝が認めなかった死んだ理屈の典型がここにはある。
なお、副業・兼業における割増賃金の支払義務について、筆者は以下のように論じたことがある(小嶌『現場からみた労働法――働き方改革をどう考えるか』(ジアース教育新社、2019年)144~145頁。ただし、原文とは異なり、兼業と副業を入れ替えている)。現在も、その考え方に変わりはない。
仮に労働時間が通算されるとしても、「使用者が副業や兼業を命じたといった事実でもない限り、副業・兼業先の指揮命令下にある時間は、当の使用者にとっては、その指揮命令下にない以上、労働時間には当たらない(三菱重工業長崎造船所事件=平成12年3月9日最高裁第一小法廷判決を参照。なお、このことに関連して、判決は、労働者が行う準備行為等についても、『事業所内において行うことを使用者から義務付けられ、又はこれを余儀なくされたとき』に限定していることに注意)。
他社の業務に従事することを届出によって認知したとしても、それだけでは『労働させた』とはいえない(この点に関連して、労働基準法32条は『労働させてはならない』と定め、同法37条は『労働させた』場合に割増賃金の支払義務が使用者にあると規定していることに注意)。
健康への配慮は別に考えるとして、副業や兼業を推進するというのであれば、そうした解釈を行政当局が明確にすることも、今後は必要になろう」(注4)。
注3 割増賃金の問題を離れても、医師の副業・兼業については、そのための時間枠を別途設ける等の措置を講じなければ、大学附属病院による地域診療の支援を不可能にする等、診療活動に対する深刻な影響が懸念されることに注意。日本医師会「医師の特殊性を踏まえた働き方検討委員会」答申(2020年6月)を参照。
注4 労働時間の通算をどこの国でもみられる普遍的なルールと考えると、認識を誤る。例えば、アメリカの場合、公正労働基準法(Fair Labor Standards Act)3条(d)により、使用者Aと使用者Bが共同使用者(joint employer)の関係にあれば、A・Bは、ともに通算された労働時間について割増賃金の支払義務を負うことになるが、労働者の雇用について両者が連携でもしていないかぎり、このような事態が生じる可能性はない。See Joint Employer Status Under the Fair Labor Standards Act(Final rule), 85 Federal Register 2820(January 16, 2020).
(つづく)
小嶌典明氏(こじま・のりあき)1952年大阪市生まれ。関西外国語大学外国語学部教授。大阪大学名誉教授。同博士(法学)。労働法専攻。規制改革委員会の参与等として雇用・労働法制の改革に従事するかたわら、国立大学の法人化(2004年)の前後を通じて、人事労務の現場で実務に携わる。主な著作に『職場の法律は小説より奇なり』(講談社)、『メモワール労働者派遣法――歴史を知れば、今がわかる』(アドバンスニュース出版)のほか、最近の著作に『現場からみた労働法――働き方改革をどう考えるか』、『現場からみた労働法2――雇用社会の現状をどう読み解くか』(ジアース教育新社)がある。