1982年の歴史的な「ワッセナー合意」を皮切りに、労働市場改革を通じて高成長を遂げたオランダの政策は「ポルダー(干拓地)・モデル」(注)と呼ばれ、日本が進めている労働市場改革にとってもヒント満載だ。アムステルダム大学、アムステルダム先端労働研究所のパウル・デ・ベール教授の来日を機に、ポルダー・モデルの意義と課題を聞いた。(聞き手=大野博司、本間俊典)
―― まず、ポルダー・モデルの概要を聞かせてください。
(3月18日、東京都港区のオランダ大使館にて)
デ・ベール氏 オランダは1980年前半、年金や社会保障が足かせとなって「オランダ病」と呼ばれる低成長に苦しんできましたが、危機感を持った政労使が交わしたワッセナー合意をきっかけに、大胆な改革に踏み切りました。80~90年代を通じて、経営者側が求める労働者の賃金抑制と、労働者側が求める労働時間の短縮の両方を達成するため、互いに妥協しながら就労を促進する同一労働同一賃金の原則を導入したのです。
これをきっかけに、労組が主張していた保育所の整備が進んだこともあり、それまで労働市場に入ってこなかった既婚女性のパート就労が増えました。現在、フルタイム労働は週35時間が上限で、パート労働は20~24時間が多いです。毎日、短時間就労する人もいれば、週3日だけ就労という人もいます。賃金はもちろん、社会保障なども両者の差別はなく、現在では就労者の半数はパート労働者になっています。
もともと、パートは結婚・出産した女性が育児のかたわら仕事をするための制度でしたが、現在では多くの女性が結婚前から生涯パートで働くようになっています。そこが他の国と違っているのではないでしょうか。以前は、賃金がフルタイム労働者の3分の1以下だと、きちんとした社会保障を受けられなかったのですが、90年代にはそれも解消されました。
しかし、パートで管理職になる人、それも女性は非常に少なく、パートはローエンドの就労形態になっています。
―― とすれば、若者層などの失業率は低いのでしょうね。
デ・ベール氏 80年代前半までの失業率は10%を超えていましたが、パート増加後は下がり続け、2000年ごろには2%台まで下がりました。ただ、「人」で計算すると失業率は確かに低くなりますが、「労働時間」で計算すると短時間労働のパートタイムが多い分、それほど低いとも言えません。
英仏ほどではないのですが、オランダの場合、若者の雇用には学生も含まれていて、学生を除くと失業率は2倍に跳ね上がるでしょう。学生に対する財政支援が減らされたこともあり、多くの学生がアルバイトに精を出しています。私が学生の論文指導をしようと思っても、「仕事で忙しいから」と言われて会えないこともあります(笑)。
―― ポルダー・モデルにも制度疲労が出てきたと言われますが。
デ・ベール氏 その通りです。改革のスピードは鈍っています。その理由として、労使の信頼感が徐々に薄れてきて、労組が経営側と交渉しても、なかなか合意が得られなくなってきたことが挙げられます。それは全国的にも、各産業・業界分野でも同じです。
特に、年金制度が今のままでは崩壊しかねず、大きな問題になっています。若者層の減少と低金利による運用難などの結果ですが、新たな社会保障制度を作り出そうとこの10年ほど努力を続けているのですが労使が合意に至っていないのです。
(つづく・次回は3月27日更新)
注:ポルダー・モデル 1982年、失業増大とインフレ進行阻止のため、賃金上昇の抑制を政労使で取り決めたワッセナー合意がきっかけ。70年代から続いた賃金・物価の抑制に成功し、失業率の低下と経済成長を同時達成した。その後も、労働法改正(96年)、柔軟性と保障法(99年)など、労働市場に関する政策が継続的に実施され、フルタイムとパートタイムの権利は労働時間の違いだけになった。「オランダ・モデル」「パートタイム経済」とも呼ばれ、世界的な注目を浴びた。
パウル・デ・ベール氏(Paul de Beer)1957年生まれ。エラスムス・ロッテルダム大学で計量経済学を学び、2001年アムステルダム大で経済学博士号取得。専門は労使関係、労働市場、格差、連帯・労働の価値について。