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2017年3月 6日

<特別寄稿>大阪大学大学院法学研究科教授 小嶌 典明さん

法律による時間外労働の上限規制は必要か?(下)

2 上限規制の中身を問う――労組も達成が困難な内容

1年720時間(月平均60時間)の意味

iskojima.jpg 毎月60時間残業すれば、1年で720時間になる。事務局案をこのように理解した者も、少なからずいた。しかし、現行の限度時間告示を前提とする限り、そのような時間外労働は許されない。特別条項による特例は、「限度時間を超えて労働時間を延長しなければならない特別の事情(臨時的なものに限る。)が生じたときに限り」認められるからである。

 このことを具体化して、通達(平成11年1月29日基発第45号)は、次のようにいう。
 「『特別の事情』は『臨時的なもの』に限ることを徹底する趣旨から、特別条項付き協定には、1日を超え3箇月以内の一定期間について、原則となる延長時間を超え、特別延長時間まで労働時間を延長することができる回数を協定するものと取り扱うこととし、当該回数については、特定の労働者についての特別条項付き協定の適用が1年のうち半分を超えないものとすること。
 提出された協定に回数の定めがない場合は、『特別の事情』が『臨時的なもの』であることが協定上明らかである場合を除き、限度基準に適合しないものとして必要な助言及び指導の対象となるものであること」。

 それゆえ、1年のうち少なくとも半分(6カ月)は、1カ月につき45時間が時間外労働の限度となる。ただ、残りの450時間(720時間-45時間×6)についても、事務局案によれば「脳・心臓疾患の労災認定基準をクリアする」ことが大前提であり、時間外労働の自由な配分が認められるわけではない。

 例えば、労災認定基準による1カ月当たりの上限は100時間であり、たとえ100時間を上限とすることが認められたとしても、労災認定基準をクリアするためには、その前後に位置する月の残業時間を最長60時間に抑えることが必要になる。100時間を上限とすることのできる月は、せいぜい1年に2回ということになろう(例1を参照)。

例1)1カ月につき100時間を上限とした場合

1月 2月 3月 4月 5月 6月
60時間 100時間 60時間 100時間 60時間 70時間
7月 8月 9月 10月 11月 12月
45時間 45時間 45時間 45時間 45時間 45時間

 また、1カ月当たりの上限が80時間に抑えられた場合、80時間の月を年に6回設けようとすると、1年720時間の範囲に収めるためには、どこかに1カ月の残業時間が15時間となる月を持ってこなければならない、という話になる(例2を参照)。

例2)1カ月につき80時間を上限とした場合

1月 2月 3月 4月 5月 6月
80時間 80時間 80時間 80時間 80時間 80時間
7月 8月 9月 10月 11月 12月
15時間 45時間 45時間 45時間 45時間 45時間

 1カ月当たりの上限を60時間としたことを印象づけるために、1年の上限をその12倍となる720時間とした。そこには、現実に対する配慮などもともとなく、以上にみたごく簡単な試算さえ行われなかった。こういっても、誤りはないであろう。

連合の調査にみる特別条項の現状

特別条項付き36協定を「締結」している労使が圧倒的多数(88.0%)
時間外労働の平均延長限度時間は[1ヶ月]が77.3時間、[1年]が621時間
延長可能な回数は[1ヶ月]5.8回


 日本労働組合総連合会(連合)が発行する『れんごう政策資料』236号(2017年1月30日)は、「労働時間に関する調査(2016年度)」結果を取りまとめるなかで、連合加盟組合における特別条項付き36協定の締結状況をこのように要約する(20頁)(注1)

 具体的には、次のように述べる。少し引用が長くなるが、わが国の労働組合を代表する組織(日本最大の労組ナショナルセンター)の調査結果であることから、以下には参照が指示された表を含め、該当箇所の全文を引用したい。

 「特別条項付き協定の導入状況をみると、協定を『締結している』組合は88.0%である。こうした『締結』組合の比率は2002年以降徐々に上昇しており、締結した組合比率はこれまでで最も高い(第17表)。
 特別条項付き協定の締結率は部門間の違いが顕著である。締結率が100%の部門は、食品と資源・エネルギーである。また、金属(98.3%)、化学・繊維(92.2%)でも90%を超えている。これに対し、保険・金融(75.8%)、サービス・一般(76.5%)、商業・流通(78.6%)の締結率は7割台である。
 特別条項における[締結延長限度時間]は、通常の36協定時間を大幅に上回り、[1ヶ月]では平均77.3時間となっている(第18表)。
 また、[1年]における特別条項[締結延長限度時間]は621時間に達し、36協定の基準上限時間(360時間)を261時間上回る水準に設定されている。特に、長時間の上限時間を締結している部門は情報・出版(750時間)と金属(684時間)である。
 なお、特別条項付き協定における[1ヶ月]の[時間外労働を延長できる回数]は平均5.8回で、2004年以降ほとんど変化はみられない(第19表)」(24~25頁)。

第17表 特別条項付き協定の有無

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第18表 特別条項付き協定上の時間外労働の延長できる限度時間(単純平均値、時間)

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第19表 特別条項付き協定上の時間外労働の延長できる回数(1ヶ月。単純平均値、回)

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 特別条項付き36協定の締結率が近年増加傾向にあることは、厚生労働省の「労働時間等総合実態調査」結果からも窺える(平成17年度(2005年度)の27.7%が、平成25年度(2013年度)には40.5%に増加)が、連合の調査結果(2016年、88.0%/2013年、85.4%)はこれを大幅に上回っていることが注目される(注2)

 他方、連合の調査結果においては、1年の特別延長時間(特別条項による延長限度時間)が全部門で800時間以内に収まっている(「情報・出版」の750時間が最長)のに対して、厚労省の調査結果(平成25年度、以下同じ)では、800時間超が15.0%、1000時間超が1.2%を占めるものとなっている。

 とはいえ、連合の調査結果においても、1ヵ月の特別延長時間は、10部門中6部門で80時間を超えるものとなっており(6部門には、3ヵ月の特別延長時間が240時間を超える2部門を含む)、「情報・出版」のように105.8時間と100時間を超える部門も存在する。その割合は、80時間超が21.5%、100時間超が5.5%とした厚労省の調査結果を上回っている可能性さえなくはない。

 1年720時間(月平均60時間)と事務局案は簡単にいうものの、これを達成することは連合の加盟労組であっても難しい。以上にみた調査結果を前提とする限り、こういわざるを得まい。

 なお、連合の調査結果によれば、限度時間告示の適用を除外された業務の延長限度時間は、2016年現在、1年平均で786時間。800時間を超える部門も、「サービス・一般」(1080時間)を始め、「交通・運輸」(865時間)、「金属」(858時間)と、3部門を数える(注3)。こうした現状に照らしても、適用除外業務の廃止には大きな無理がある(一定の猶予期間を設けるだけで廃止可能といえるほど、生易しい問題ではない)ということになろう。

 特別条項に定める延長限度時間の短縮に向けた労使の取組みがあって、それに続く形で法改正がそうした労使の取組みをバックアップするというのであれば、まだ話はわかる。しかし、以上にみたように、現状は、そのようなレベルとは程遠いところにある。そんな状況のもとで、法改正を断行したとしても、うまくいくはずがない。

 まずは、現実を直視し、仮に法改正に踏み切るとしても、一律適用(one-size-fits-all)の愚は極力避ける。今、我々に求められているのは、そうしたエビデンスに基づく冷静な判断ではなかろうか。 (おわり)

 

注1:「労働時間に関する調査」は、毎年1月末に『れんごう政策資料』として、その調査結果が公表されている。36協定の締結状況を始め、連合加盟の「主要組合の労働時間の現状」を知る貴重な資料となっている。なお、以下の引用では、明白な誤記については訂正したものの、表記(「ヶ月」と「ヵ月」の併存)については、原文の表記にそのまま従っている。
注2:厚生労働省「平成25年度 労働時間等総合実態調査」の主な結果(平成17年度の調査結果を含む)については、下記サイト(特別条項については6枚目)を参照。
http://www.mhlw.go.jp/file/05-Shingikai-12602000-Seisakutoukatsukan-Sanjikanshitsu_Roudouseisakutantou/shiryo2.2.pdf#search=%27%E5%8A%B4%E5%83%8D%E6%99%82%E9%96%93%E7%AD%89%E7%B7%8F%E5%90%88%E5%AE%9F%E6%85%8B%E8%AA%BF%E6%9F%BB%27
注3:詳しくは、『れんごう政策資料』236号23頁の「第16表 適用除外業務の延長限度時間」を参照。ただし、サンプル数が他の調査項目とは違い、極端に少ない(50組合に満たない)という問題がある。

 

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小嶌 典明氏(こじま・のりあき)1952年大阪市生まれ。神戸大学法学部卒業。大阪大学大学院法学研究科教授。労働法専攻。小渕内閣から第一次安倍内閣まで、規制改革委員会の参与等として雇用・労働法制の改革に従事するかたわら、法人化の前後を通じて計8年間、国立大学における人事労務の現場で実務に携わる。
 最近の主な著作に、『職場の法律は小説より奇なり』(講談社)のほか、『労働市場改革のミッション』(東洋経済新報社)、『国立大学法人と労働法』(ジアース教育新社)、『労働法の「常識」は現場の「非常識」――程良い規制を求めて』(中央経済社)、『労働法改革は現場に学べ!――これからの雇用・労働法制』(労働新聞社)、『法人職員・公務員のための労働法72話』(ジアース教育新社)、『労働法とその周辺――神は細部に宿り給ふ』(アドバンスニュース出版)、『メモワール労働者派遣法――歴史を知れば、今がわかる』(同前)がある。
 

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