1 上限規制へのミスリード――「働き方改革実現会議」事務局案
事務局案を素直に読む
2017年2月14日、第7回「働き方改革実現会議」に「時間外労働の上限規制について」と題する事務局案が提出された。
事務局案は、時間外労働の規制の現状を次のように記した(A)上で、法改正の基本的考え方とその方向性について、以下のように述べる(B)(赤字は原文による)。
A 現行の時間外労働の規制
<原則>
○ 1日8時間、1週40時間を超えて労働させることを禁止。【労基法第32条】
<特例>
○ 使用者は、労働組合(※)と労使協定(いわゆる36協定)を締結した場合、そこで定めた時間まで、時間外労働をさせることが可能。【労基法第36条第1項】
(※)事業場の労働者の過半数で組織する労働組合、または、(労働組合がない場合は)過半数労働者の代表者
36協定で定める時間外労働の限度基準(強制力のない厚生労働大臣告示)
<原則>
○ 月45時間以内、かつ、年360時間以内
<特例>
⑴ 実際には、臨時的な特別の事情がある場合として ~ 上限なく時間外労働が可能(特別条項)
⑵ 適用除外:①新技術、新商品等の研究開発業務、②建設事業、③自動車の運転業務等
B 改正の方向性
○ いわゆる三六協定でも超えることができない、罰則付きの時間外労働の限度を法律に具体的に規定する。
○ 規定は、脳・心臓疾患の労災認定基準をクリアするといった健康の確保を図ることが大前提。その上で、
・女性や高齢者が活躍しやすい社会とする観点
・ワーク・ライフ・バランスを改善する観点など、様々な観点が必要
※ 脳・心臓疾患の労災認定基準(平成13年12月12日付け労働基準局長通達)によれば、以下のいずれかを満たす場合には、業務と脳・心臓疾患の発症との関連性が強いと評価される。
① 発症前の連続する2カ月、3カ月、4カ月、5カ月、6カ月の時間外労働の平均のいずれかが、概ね80時間超であること
② 発症前1カ月の時間外労働が概ね100時間超であること
法改正の方向性
<原則>
① 36協定により、週40時間を超えて労働可能となる時間外労働時間の限度を、月45時間、かつ、年360時間とする。
→ 上限は法律に明記し、上限を上回る時間外労働をさせた場合には、次の特例の場合を除いて罰則を課す。
<特例>
② 臨時的な特別の事情がある場合として、労使が合意して労使協定を結ぶ場合においても、上回ることができない年間の時間外労働時間を1年720時間(月平均60時間)とする。
③ ②の1年720時間以内において、一時的に事務量が増加する場合について、最低限、上回ることのできない上限を設ける。
④ 月45時間を超えて時間外労働をさせる場合について、労働側のチェックを可能とするため、別途、臨時的に特別な事情がある場合と労使が合意した労使協定を義務付ける。
<その他>
⑤ 現在、①新技術、新商品等の研究開発業務、②建設事業、③自動車の運転業務等については、厚生労働大臣告示の適用除外となっている。これらの取り扱いについて、実態を踏まえて対応のあり方を検討する。
⑥ その他、突発的な事故への対応を含め、事前に予測できない災害その他避けることのできない事由については、労基法第33条による労働時間の延長の対象となっており、この措置は継続する。
時間外労働に上限はないのか――現状認識を誤らせる事務局案
表題を含めても1200字程度。事務局案は、このようにきわめて短いものであるにもかかわらず、①36協定の表記が統一されていない(漢数字が混じっている)、②「罰則を科す」が誤って「罰則を課す」と記されている、③36協定の締結は、事務以外の業務についても必要となるのに、1カ月60時間を上回る上限が「一時的に事務量が増加する場合」にしか想定されていない等、文章にはアラが目立つ。推敲のための十分な時間もないまま、作成された。そんな光景が目に浮かぶ。
確かに、時間外労働に対する限度基準を規定した大臣告示である「労働基準法第36条第1項の協定で定める労働時間の延長の限度等に関する基準」(平成10年12月28日労働省告示第154号)(注1)に、法律上の強制力はない。
限度基準の根拠は「厚生労働大臣は、労働時間の延長を適正なものとするため、前項の協定で定める労働時間の延長の限度、当該労働時間の延長に係る割増賃金の率その他の必要な事項について、労働者の福祉、時間外労働の動向その他の事情を考慮して基準を定めることができる」と規定した労基法36条2項にあり、同条4項も「行政官庁は、第2項の基準に関し、第1項の協定をする使用者及び労働組合又は労働者の過半数を代表する者に対し、必要な助言及び指導を行うことができる」と規定するにとどまっている。
しかし、事務局案のいうように、現状を「実際には、臨時的な特別の事情がある場合として ~ 上限なく時間外労働が可能(特別条項)」とすることには問題がある。特別条項による特例は、「あらかじめ、限度時間以内の時間の一定期間(注:1日を超える一定の期間をいい、「当該一定期間は1日を超え3箇月以内の期間及び1年間としなければならない」[告示2条]とされる)についての延長時間を定め、かつ、限度時間を超えて労働時間を延長しなければならない特別の事情(臨時的なものに限る。)が生じたときに限り、一定期間についての延長時間を定めた当該一定期間ごとに、労使当事者間において定める手続を経て、限度時間を超える一定の時間まで労働時間を延長することができる旨及び限度時間を超える時間の労働に係る割増賃金の率を定める場合」(告示3条1項ただし書。アンダーラインは筆者による。以下同じ)にのみ、これが認められるからである。
具体的には、次のような特別条項の例が考えられる。
① 一定期間における延長時間は、1カ月につき45時間、1年につき360時間とする。ただし、通常の生産量を大幅に上回る受注があり、かつ、その納期が逼迫したときは、労使の協議を経て、6回を限度として1カ月につき80時間、1年につき750時間までこれを延長することができる。
② 前項ただし書により労働時間を延長する場合の割増賃金率は、延長時間が1か月につき45時間を超え60時間までの場合は25%、1カ月につき60時間を超えた場合は50%とする(注2)。
つまり、上限がないといっても、それは法令上の上限がないだけであって、労使が特別条項に定める限度(注:この限度=特別延長時間を定めることは、上記のように大臣告示の定める要件となっている)を超えて、使用者が労働者に時間外労働をさせることができないことはいうまでもない。
それゆえ、「特別条項に定める『特別延長時間』の範囲で時間外労働が可能」というのが正確であって、これを「上限なく時間外労働が可能(特別条項)」とすることは、現状認識を誤らせるものといわざるを得まい(注3)。
注1:大臣告示の全文は、厚生労働省法令等データベースサービスに収録されている。
注2:なお、労基法37条1項が、次のように定めていることに注意。「使用者が、第33条又は前条第1項の規定により労働時間を延長し、又は休日に労働させた場合においては、その時間又はその日の労働については、通常の労働時間又は労働日の賃金の計算額の2割5分以上5割以下の範囲内でそれぞれ政令で定める率以上の率で計算した割増賃金を支払わなければならない。ただし、当該延長して労働させた時間が1箇月について60時間を超えた場合においては、その超えた時間の労働については、通常の労働時間の賃金の計算額の5割以上の率で計算した割増賃金を支払わなければならない」。
注3:ただし、このような現状認識は、有識者や経営者の間にも広範にみられる。例えば、第6回「働き方改革実現会議」(2017年2月1日)における「青天井で時間外労働が可能となっている制度」(樋口美雄議員/慶應義塾大学商学部教授)とか、「実質的に無制限に残業ができる制度」(榊原定征議員/日本経済団体連合会会長)といった認識がそれである。
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小嶌 典明氏(こじま・のりあき)1952年大阪市生まれ。神戸大学法学部卒業。大阪大学大学院法学研究科教授。労働法専攻。小渕内閣から第一次安倍内閣まで、規制改革委員会の参与等として雇用・労働法制の改革に従事するかたわら、法人化の前後を通じて計8年間、国立大学における人事労務の現場で実務に携わる。
最近の主な著作に、『職場の法律は小説より奇なり』(講談社)のほか、『労働市場改革のミッション』(東洋経済新報社)、『国立大学法人と労働法』(ジアース教育新社)、『労働法の「常識」は現場の「非常識」――程良い規制を求めて』(中央経済社)、『労働法改革は現場に学べ!――これからの雇用・労働法制』(労働新聞社)、『法人職員・公務員のための労働法72話』(ジアース教育新社)、『労働法とその周辺――神は細部に宿り給ふ』(アドバンスニュース出版)、『メモワール労働者派遣法――歴史を知れば、今がわかる』(同前)がある。