―― 長時間労働が大きな社会問題になっているにもかかわらず、電通で新人社員が過労自殺するなど、波紋を広げています。
古賀 労災認定された過労死・過労自殺が年間200人前後の先進国なんてありませんよ。「カローシ」という日本語がそのまま世界で通用するなんて異常で恥ずかしいことです。働く人の命と健康を守るのは当然であり、そのために労働基準法があるわけで、それに違反するのは論外です。
同時に、これは私自身の反省でもありますが、残業を規制する労基法の36(さぶろく)協定の締結にあたっては、労働側にいわゆる拒否権があるにもかかわらず、企業別組合の弱点が表れ、ついつい協定に応じてきた実態も無視できませんね。
一般に日本の労組も社員も賃金が100円、200円上がったり下がったりする時は神経質になるのに、自分の年間総実労働時間がどれぐらいかといったことには無頓着な人が圧倒的に多い。限りある人生の大切な資源の一つである「時間」というものに対して、もう少し関心をもたなければならないのではないでしょうか。そうした反省を踏まえて、社会全体が切り替えていかなければならない転換期に来ている。今、やっと気づいたということでしょうね。
―― 講演などで若い労働者の人たちと話す機会も多いと思いますが、中高年世代との違いを感じることはありますか。
古賀 私のような世代では当たり前だった「会社中心主義」は影をひそめ、多様な価値観を持っている点に大きな違いを感じます。人生は仕事だけではなく、好きなサークルに通いたい、家族との時間を大切にしたいといった多面的な考え方を持っているのです。ワークライフバランスをごく自然に目指しているというか。これは、右肩上がりの成長期でなく、右肩下がりの停滞期で生活する考え方としても理解でき、私たちも支援していく必要があります。
とにかく、年配者は昔の尺度で勤労観や働く姿勢を評価しがちなので、戸惑うことも多いのでしょう。しかし、過去の経験則では答えの出ない時代に来ています。「次元が違う」と受け止める方がいいように思います。
―― しかし、時代を超えても変わらないことはあるはずです。
古賀 それは、働くということが社会とかかわっていく非常に大きな接点であり、とりわけ日本では働くことに「心を込める」のが大きな特徴だと思います。単に商品やサービスを提供するだけではなく、それに携わっている人の心がこもっているからこそ、世界的に評価されているのではないでしょうか。
働き方も、この視点から見直すべきではないかと思います。現在、盛んに議論されている解雇規制の緩和にしても労働力の流動化には資するかもしれませんが、いつ解雇されるかわからない会社で、社員は心を込めた仕事ができるかどうか疑問です。雇用の安定と能力蓄積型の人事処遇制度は改めて再認識されるべきだと思います。
もちろん、職務給と職能給をうまくミックスさせたハイブリッド型の柔軟な制度は必要ですが、新入社員の初任給から一定程度の能力や技術を身に着けるまで賃金は上げていくべきです。一定の賃金水準から先は、基本給はフラットでその上に役割給や成果に応じた賃金制度でもよく、すでに多くの企業では実現しています。日本型の「同一価値労働同一賃金」を創りあげるべきですね。
ただ、これは正社員を対象にした制度変更であり、非正規社員の比率が4割弱まで来ている現状では効果は限られます。これからは産業別組合の役割・責任を再構築して、産業別に働くうえでの横断的なルールを強化する。容易なことではありませんが、労組も「わが組織」「わが企業」に固執せず、「良い社会の実現には何ができるか」という幅広いウイングで臨んでいくことが望ましいと思います。
「働くルール」をもっと知ろう
―― そうなると、労働政策だけでできることは限られます。
古賀 確かにそうです。経済政策・産業政策、社会保障、税制、教育などとも一体化した議論が必要になります。住宅や教育問題、格差の固定化といった将来不安が大きくのしかかる限り、消費なんか活性化しませんよ。将来を見据え仕切り直して、個々人にとって安心が実感できる政策論議を求めたいですね。残念ながら、今の政府にはこうした30年後40年後を考えるセクションがありません。
結局、教育の問題に行き着きますね。小中学校時代から「働くこと」を考える授業を設けるべきではないでしょうか。今の子供に「将来は何になりたい?」と聞くと、「大企業の正社員」と答える子供もいるそうですから。加えて、労使ともに働くルールを知らない人が多い。その点、2013年から学者や連合などが共同で始めた「ワークルール検定」は好評で、受験者が急増しています。本当は国家検定という形でできればベストですが。
―― 日本の労働制度は今後、個人重視の米国型か、社会的安全網を充実させた欧州型か、どちらのタイプにすべきだと思いますか。
古賀 結論から言えば、欧州型でしょう。当然、従来の終身雇用・年功序列型の制度は変化せざるを得ません。これだけ変化が激しく、産業構造や社会構造も変わっています。雇用は流動化せざるを得ませんが、働く一人一人が能力を蓄積しながら、それを付加価値に結び付けられる社会の構築がカギになります。それに対する備えは個人も社会も持っていなければなりません。従来は企業が全面的に担ってきた社員の能力開発や職業訓練というものを、今後は国や社会がやらなければならない。しかし、このセーフティネットの整備が遅れているのです。
私は経済成長の必要性を否定はしませんが、低成長下でも国民一人一人が生き生きと暮らせる社会の構築こそ、成長以上に重視すべき政策だと思うんです。今の日本は人手不足でほぼ完全雇用の状態にありますが、その一方で、年収200万円以下の層が1000万人を超えているのも厳然とした事実です。
社会全体の“底上げ”をどう図るか。企業も個人も将来不安があるから全ての面で消極的になる。まずは、最低賃金を引き上げ、正規・非正規の不合理な格差をなくすといった基本的な施策をスピードをあげて進めるべきです。そして、社会保障制度をすべての国民にとって安心あるものにする。多少困難があっても、日本の再生にはそうした過程を踏まなければならないと思います。 (おわり)
古賀 伸明氏(こが・のぶあき)1952年、福岡県出身。宮崎大学工学部卒業後、松下電器産業(現パナソニック)に入社。96年に松下電器労組中央執行委員長に就任。2002年に電機連合中央執行委員長、2005年に連合事務局長、09年に第6代連合会長に就任。15年退任、連合総研理事長に就任して現職。