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2015年12月31日

<特別寄稿>大阪大学大学院法学研究科教授 小嶌 典明さん

2015-16年 雇用・労働法制の回顧と展望―(4)

Ⅱ 2016年の展望――労基法改正案

一律の時間規制で「下町ロケット」の世界は消滅へ

is1512.jpg 労働基準法(労基法)改正案は、2015年の通常国会に提出されたものの、実質審議に入らないまま、継続審議(閉会中審査)となった。16年の通常国会では、その成立を図ることが政府の大きな目標の一つとなっている。

 ただ、改正法案に対する懸念は、依然として消えていない。2015年に法案の提出に先だって、1月に本欄に寄稿したことの繰り返しになる(一部、年次を変更している)が、次のような未来図――とある研究所の風景――が現実のものとなる。それでよいのか、という問題である。

 今日も、所内のパソコンは午後10時になると自動的にシャットダウンした。翌日の午前5時まではパソコンが使えない。
 土日や祝日(所定休日)は、研究所の入口が閉鎖され、所内に入ることさえ禁止される。これに合わせて、研究所から貸与された自宅のパソコンも、土日や祝日には起動できないようにセッティングされている。
 平日(所定労働日)には、在宅勤務も認められているが、午後10時から翌日の午前5時までは、研究所のデータベースはもとより、パソコンそのものが使用できないシステムになっている。

 以前は、研究所に何日も寝泊まりして、仕事を続ける強者もいた。だが、2016年に健康確保のため「労働時間の把握」が法令で義務づけられて以降、そうした研究の虫は完全にその姿を消した。

 「労働時間の把握」は、あくまで健康確保のために行うものであり、割増賃金の支払いとは関係がない。たしかに、そのようなタテマエはあった。しかし、研究所の所員が適用を受ける裁量労働制は、正確には「労働時間のみなし」を認めるものにすぎず、時間外や深夜、休日に勤務した場合には、割増賃金の支払いが必要になる。

 研究所では、曜日と時間帯を問わず、自由に勤務することを所員に対して認めてきたという経緯もあって、勤務する曜日や時間帯を選択する自由がこのように所員にある以上、深夜や休日に勤務したというだけで割増賃金を支払うことには問題がある(所員もこれを公平とは思わない)として、そのための予算も組まれていなかった。
 また、所員については、1日8時間勤務したものとみなすものとされていたことから、平日の勤務に加え、土曜か日曜に「出勤」すると、それだけで1週の法定労働時間である40時間を超えてしまい、このことが「労働時間の把握」により顕在化し、研究所としても見過ごすことができなくなる、という問題もあった。

 そこで、この際、深夜や休日の勤務をできないようにしてしまえ、という話になったのである。しかし、その結果、優秀な所員は、時間規制のない海外の研究所に移り、さほど優秀とはいえない所員だけが研究所に残る、という非常事態に研究所は直面した。
 ただ、研究所に残った所員も、その多くは研究への意欲を次第に失っていった。研究の中断を頻繁に強制される環境のもとでは、いったん低下した意欲を再び元のレベルに戻すだけでも、相当の時間とエネルギーが必要になる。こうしたことを繰り返すうちに、研究意欲もどこかに行ってしまった。そんな所員が多かったのである。

 さらに、時間にとらわれることなく、自由に研究することのできる環境が失われたことによる心理的ストレスに耐えかねて、精神面でダメージを受けた所員も少なからずいた。健康確保の措置を講じたために、かえって健康を害する。悪い冗談としか思えないような現実が、そこにはあった。


 いわゆる「高度プロフェッショナル制度」を創設するために新たに設けられる労基法41条の2は、それだけで字数が1600字を超える。これに対して、管理監督者等に対する労働時間規制の適用除外について定めた41条の字数は、250字にも満たない。

 法的効果については、深夜業規制に対しても41条の2では時間規制が適用を除外されるという点を除き、41条との間に違いはない(41条では深夜業規制は対象外)ことを考えると、異常なボリュームともいえる。

 要件をあまりにも厳格にしたために、そうなった。以下にみるように、新設される41条の2においては、1項3号および4号に定める要件を満たさないと、適用除外そのものが認められないことにも注意する必要がある(注1)。 

第41条の2 賃金、労働時間その他の当該事業場における労働条件に関する事項を調査審議し、事業主に対し当該事項について意見を述べることを目的とする委員会(使用者及び当該事業場の労働者を代表する者を構成員とするものに限る。)が設置された事業場において、当該委員会がその委員の5分の4以上の多数による議決により次に掲げる事項に関する決議をし、かつ、使用者が、厚生労働省令で定めるところにより当該決議を行政官庁に届け出た場合において、第2号に掲げる労働者の範囲に属する労働者(以下この項において「対象労働者」という。)であって書面その他の厚生労働省令で定める方法によりその同意を得たものを当該事業場における第1号に掲げる業務に就かせたときは、この章で定める労働時間、休憩、休日及び深夜の割増賃金に関する規定は、対象労働者については適用しない。ただし、第3号又は第4号に規定する措置を使用者が講じていない場合は、この限りでない。
 一 高度の専門的知識等を必要とし、その性質上従事した時間と従事して得た成果との関連性が通常高くないと認められるものとして厚生労働省令で定める業務のうち、労働者に就かせることとする業務(以下この項において「対象業務」という。)
 二 この項の規定により労働する期間において次のいずれにも該当する労働者であって、対象業務に就かせようとするものの範囲
  イ 使用者との間の書面その他の厚生労働省令で定める方法による合意に基づき職務が明確に定められていること。
  ロ 労働契約により使用者から支払われると見込まれる賃金の額を1年間当たりの賃金の額に換算した額が基準年間平均給与額(厚生労働省において作成する毎月勤労統計における毎月きまって支給する給与の額を基礎として厚生労働省令で定めるところにより算定した労働者1人当たりの給与の平均額をいう。)の3倍の額を相当程度上回る水準として厚生労働省令で定める額以上であること。
 三 対象業務に従事する対象労働者の健康管理を行うために当該対象労働者が事業場内にいた時間(この項の委員会が厚生労働省令で定める労働時間以外の時間を除くことを決議したときは、当該決議に係る時間を除いた時間)と事業場外において労働した時間との合計の時間(次号ロ及び第5号において「健康管理時間」という。)を把握する措置(厚生労働省令で定める方法に限る。)を当該決議で定めるところにより使用者が講ずること。
 四 対象業務に従事する対象労働者に対し、次のいずれかに該当する措置を当該決議及び就業規則その他これに準ずるもので定めるところにより使用者が講ずること。
  イ 労働者ごとに始業から24時間を経過するまでに厚生労働省令で定める時間以上の継続した休息時間を確保し、かつ、第37条第4項に規定する時刻の間【注:午後10時から翌日の午前5時まで】において労働させる回数を1箇月について厚生労働省令で定める回数以内とすること。
  ロ 健康管理時間を1箇月又は3箇月についてそれぞれ厚生労働省令で定める時間を超えない範囲内とすること。
  ハ 1年間を通じ104日以上、かつ、4週間を通じ4日以上の休日を確保すること。
 五 対象業務に従事する対象労働者の健康管理時間の状況に応じた当該対象労働者の健康及び福祉を確保するための措置であって、当該対象労働者に対する有給休暇の付与、健康診断の実施その他の厚生労働省令で定めるものを当該決議で定めるところにより使用者が講ずること。
 六 対象業務に従事する対象労働者からの苦情の処理に関する措置を当該決議で定めるところにより使用者が講ずること。
 七 使用者は、この項の規定による同意をしなかった対象労働者に対して解雇その他不利益な取扱いをしてはならないこと。
 八 前各号に掲げるもののほか、厚生労働省令で定める事項
② 前項の規定による届出をした使用者は、厚生労働省令で定めるところにより、同項第4号及び第5号に規定する措置の実施状況を行政官庁に報告しなければならない。
③ 略


 そして、3号にいう「健康管理時間」については、これを客観的な方法で把握することが求められる。タイムカードのない職場では、パソコンのログイン・ログアウトのタイムで、その把握が行われることになる。現場で監督指導に当たる監督官にとっても、それが最もチェックしやすい方法だからである。

 しかし、クリエィティブな仕事をしている技術者や研究者にとって、知的作業の断絶を余儀なくされることほど、ストレスのたまる、健康にも悪いものはない。休息時間や休日等の取得を強制すれば、健康が確保される。4号はそのような前提に立っているといえるが、技術者や研究者にとっては「大きなお世話」以外のなにものでもない。

 寝食を忘れて、研究や開発に没頭できる環境があってこそ、技術者や研究者はストレスから解放され、そのプライドや健康の確保が可能になる(注2)

 一律規制を強行すれば、「下町ロケット」の世界は確実に消滅する(注3)。それでよいと考える者など、この日本にはおそらくいまい。2016年の通常国会では、そうした現実を見据えた議論が真摯に交わされることを期待したい。(つづく)


注1:なお、41条の2についても、これに先行する41条の見出し(労働時間等に関する規定の適用除外)が〝共通見出し〟となる。
注2:「健康管理」も、一律に強制すれば、かえって健康を害する。ときには、こうした逆説を理解することが必要になる。
注3:ノーベル賞の受賞者も、日本の大学や研究機関からは出なくなる。大袈裟に聞こえるかもしれないが、そんな亡国の危機に、わが国は今、曝されようとしているのである。拙著『法人職員・公務員のための労働法72話』(ジアース教育新社、2015年)452頁を参照。
 

小嶌 典明氏(こじま・のりあき)1952年大阪市生まれ。神戸大学法学部卒業。大阪大学大学院法学研究科教授。労働法専攻。小渕内閣から第一次安倍内閣まで、規制改革委員会の参与等として雇用労働法制の改革に従事するかたわら、法人化の前後を通じて計8年間、国立大学における人事労務の現場で実務に携わる。最近の主な著作に『職場の法律は小説より奇なり』(講談社)、『労働市場改革のミッション』(東洋経済新報社)、『国立大学法人と労働法』(ジアース教育新社)、『労働法の「常識」は現場の「非常識」――程良い規制を求めて』(中央経済社)、『労働法改革は現場に学べ!――これからの雇用・労働法制』(労働新聞社)、『法人職員・公務員のための労働法72話』(ジアース教育新社)等がある。
 

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