政府が今国会に提出した労働者派遣法改正案をめぐり、与野党による審議入り前の攻防が本格化している。派遣法に関する議論はこれまでも、国会審議に至る前の動きが大半で、肝心な衆参の厚生労働委員会における「見える議論」は少ない。今回も再び、“場外戦”だけが白熱してしまうのか。与野党による深みのある論戦を期待し、ここ数年の派遣法をめぐる国会の迷走ぶりを検証する。(報道局)
初めに、国会の動きを中心とした派遣法改正に関する2008年11月以降の流れを年表で振り返ると以下のようになる。
2008年
11月 自公政権、改正法案を第170回臨時国会へ提出
2009年
6月 民主、社民、国民新党3党で衆議院に派遣法改正案を提出
7月 衆議院解散に伴い、政府改正案、3党提出法案ともに廃案
9月 政権交代、民主党中心の3党による内閣誕生
10月 長妻昭厚労相が労政審に登録型禁止などの改正を諮問
12月 労政審が答申
2010年
3月 民主、社民、国民新の連立内閣が改正案を閣議決定
4月 答申に「手を加えた」閣議決定に労政審が抗議の意見書
4月 政府、参院先議を試みるも、野党の反対で衆院へ出し直し
6月 鳩山由紀夫首相が辞任、改正法案の強行採決は消滅
6月 衆院厚生労働委員会が、通常国会に改正法案を継続審議
7月 参院選で民主党惨敗、衆参ねじれ国会に
2011年
11月 政府案から登録型派遣、製造業派遣の禁止などを削除した修正案で民自公が合意
12月 衆院厚生労働委員会で可決するも、参院で調整つかず
2012年
3月 改正派遣法、再び衆院で可決後、参院本会議で可決、成立。付帯決議付き。
10月 改正派遣法、施行
10月 付帯決議に基づき、有識者会議「今後の労働者派遣制度の在り方に関する研究会」設置
12月 政権交代、自民党中心の2党による内閣誕生
2013年
7月 参院選で自民党圧勝、衆参のねじれ国会解消
8月 研究会が報告書を取りまとめる
8月 田村憲久厚労相が労政審に審議を要請
2014年
1月 労政審が建議
3月 政府が「再改正」となる派遣法改正案を提出
5月 法案の誤記をめぐり、野党7党が再提出を要求
作成:アドバンスニュース
こうした流れをみると、国会論戦よりも国会運営の手続き論や技術論による与野党の攻防が目立つ。「審議入り前」の駆け引きが盛り上がる割には、厚労委による法案審議は乏しいと言える。
例えば、前政権時代の10年6月2日。鳩山由紀夫首相(当時)の出席の下、衆院厚労委でわずか1日の審議で強行採決を狙ったが、他の政治事情で鳩山氏が首相を辞任し、開会自体が流れた。強行採決に否定的だった当時の厚労委員長を交代させてまで“準備した”戦法だったが、結局のところ審議には至らなかった。
それから1年半にわたり、政党間による水面下の調整が断続的に行われ、現行法となる自公民による「3党合意」の修正案が浮上した。それは、11年12月に衆院厚労委で1日、仕切り直した12年3月の国会でも衆参で1日ずつの審議で成立している。もちろん、この時は与野党を越えた政党間の水面下の調整に相当な努力と協議があったことは事実だが、「見える」審議記録は乏しい。
厚労委で派遣法全体の本格論戦を
審議入り前のやり取りにエネルギーを注ぎ過ぎるため、限られた国会の会期内では、当然ながら日程的に審議日数が窮屈になる。派遣法をめぐっては、その繰り返しが際立っている。議席数で劣るその時の野党にとっては、「審議入りさせない」というのも一つの手法。しかし、派遣法に関するここ数年の国会の経過をみると、さすがに辟易(へきえき)とする。
派遣法改正案をめぐっては現在、法案の一部記述ミスで野党が政府に再提出を要求している。本題を見失うことなく、与野党双方の努力で早期決着を図るべきではないか。
また、それとは別な動きとして、民主党では対案の策定が詰めの段階を迎えている。そうであれば、なおさら、政府の政策とそれに反対する野党の厚労委を舞台にした「真っ向勝負」が期待される。改正案の部分に限らず、派遣法全体に関するさまざまな問題をぶつけ合い、次につながる立体的な議論で国会の役割を果たすべきであろう。