Q そもそも「固定残業代」とは、どのような残業代の支給方法のことをいうのでしょうか。
A 「固定残業代」とは、一定の時間分の残業代(割増賃金)をあらかじめ定額で支給する方法のことをいいます。「定額残業代」ともいわれるこの方法は、時間外労働が多い職場では給与計算が効率化できるほか、労働者にとっても毎月定額で給与が支給されるメリットがあるため、実際に幅広く取り入れられています。コロナ禍や働き方改革の影響で時間外労働が減少すると、かつてほど脚光を浴びることはなくなりましたが、コロナの収束や深刻な採用難によって業務や役割が集中することで、また新たな役割を果たす例も少なくありません。
古くて新しいテーマである固定残業代をめぐる労使間の紛争は後を絶たず、全国でさまざま訴訟が提起され、常に労働局やユニオンなどに多くの相談が寄せられているのが現状です。固定残業代の仕組みや運用が複雑なこともありますが、誤った適用によって法令違反や労働者への不利益が生じていることも少なくなく、そもそも労使紛争自体が増える時流の中で、毎日のように深刻な事案が起こっているのが現実だといえるでしょう。
固定残業代は、それを運用するための法律の規定が存在するわけではなく、実際には判例の集積によって適否が判断されていることが、この問題をさらに複雑にしているともいえます。固定残業代の取り扱いが否定されると、その分の残業代が未支給となるだけでなく、残業代を計算する上での計算基礎に組み入れられて残業代の単価が引き上がってしまい、会社が支給すべき残業代がさらに増加することになります。裁判所から未払い残業代と同額の「付加金」の支払いを命じられるようなケースもあり、このような例では会社の運営上のピンチに陥ることもあります。
テックジャパン事件(最高裁、平成24年3月8日)では、最高裁は固定残業代分に該当する労働時間について、労働基準法上の割増賃金が支払われたとすることはできないと判断し、基本給とは別に割増賃金を支払う義務を負うと判示しています。「支給対象の時間外労働の時間数と残業手当の額が労働者に明示されていなければならない」とする櫻井龍子裁判官補足意見が出され、その後の裁判例や実務にも影響を与えました。
イーライフ事件(東京地裁、平成25年2月28日)では、「当該金額(固定額)が労基法所定の額を下回るときは、その差額を当該賃金の支払時期に精算するという合意が存在するか、あるいは少なくとも、そうした取扱いが確立していることが必要不可欠」とされ、このような趣旨の裁判例もしばらく続きました。固定残業代をめぐる評価としては、使用者側にとってかなり厳しい判断の枠組みだったといえます。
これらの考え方によれば、固定残業代が認められるためには、以下の要件を満たす必要があるといえます。
②時間外手当の部分と通常の賃金の部分とが明確に区分されている(明確区分性)
③不足額を精算する合意ないし取り扱い
このような裁判所の判断は、就業実態や労務管理のあり方、労使間の意識をめぐる変化、社会経済情勢、さまざまな事案の蓄積などにともなって、時代とともに変化していきます。この後の裁判所の判断や現在における実情の判断の枠組みについては、次回解説したいと思います。
(小岩 広宣/社会保険労務士法人ナデック 代表社員)