慶応大学の塾長が「国立大の授業料を(現行の2倍強にあたる)150万円に上げるべし」とした発言が波紋を広げ、今や大学教育にとどまらない、日本の教育制度自体の議論に広がっている。文字通り、一石を投じたわけで、勇気ある発言を歓迎したい。
バブル崩壊後のデフレ経済下にあって、家計の「教育費」は一貫して値上がりが続いた数少ないコストであろう。いわゆる「有名大学」への進学を目指し、都市部の裕福な親は子供を小学生時代から学習塾へ通わせ、学費の高い私立の中高一貫校へ入れるのが珍しくない。失礼ながら、田舎の貧乏人を親に持つ子供らにとっては大きなハンディだ。
その結果、東大生の親の年収は国内トップクラス。首都圏公立大への地方高校出身者は減少するなど、公費で運営される大学の歪みは拡大の一途という。どこの国にも「エリート教育」はあり、それを目指すこと自体は悪いことではあるまい。問題は、一部の子供だけが"教育投資"の恩恵を受けられ、それが再生産され、固定化することではないか。
仮に公立大の学費が大幅値上げされることになれば、その時はせめて低所得世帯向けの奨学金制度も大幅拡充するなど、セット策も講じなければ不公平だ。教育まで「世襲制」が広がるようでは、日本の将来は暗い。この問題、もはや議論の段階ではなく、大胆な改革の時期に来ていると関係者は言うが、文部科学行政は"音なし"の構え。例によって、ヤル気が見えて来ない。(本)