以前、本欄でも紹介したが、難病の先天性ミオパチー患者、市川沙央さんの「ハンチバック」が芥川賞を獲得した。選考委員によると全会一致だったというから、よほどの衝撃だったのだろう。それは、健常者にとっては当たり前だった「本」というものの存在が、重症患者にとっては当たり前でなく、身を削るようにして読まなければならない「バリア(障害)」だったことに気づかされたからではないか。
ここで、見方を変えてみたい。市川さんの創作の源泉は指の動きだけで情報を得て執筆できるiPad miniの存在が大きかったという。電子書籍の便利さの一つは、言うまでもなくページをめくらず、自分に合った姿勢で読める点だ。キーボードも不要で、画面タッチだけでネット情報に触れ、文章も書けるパソコンは、スマホの一般化で今や世の常識。体は動かせなくても、古今東西、世界中の情報に接することができる。
ひと昔前まで、重症の難病患者にとって、社会とのコミュニケーション手段は極めて限られ、日常の情報交換さえ人手を介さないと満足にできないケースが多かった。市川さん以前にも豊かな感性を持ち、独自の表現力にあふれる重症患者はいたが、健常者が中心の社会構造の中では作品を作り、それを発表する機会さえ容易に持てなかった。「重症者の受賞がなぜ2023年になって初なのか」と言う市川さんの問いかけは重い。
しかし、今回の受賞によって、ある意味、「社会の壁」に穴があいた。しかも、小説に限らず、詩歌、エッセイ、コラムなど、難病患者でも健常者に伍して幅広く創作できることもわかった。市川さんはこれまでの作品を土台に、これからも刺激的な作品を世に問い続けるだろう。第二、第三の市川さんが出てくることを期待したい。そして、いずれは「難病作家」でなく、ただの「作家」と呼ばれる日の来ることを信じている。(俊)