元毎日新聞記者の西山太吉氏が24日、亡くなった。享年91歳。1972年、米国の沖縄返還にあたって日米政府が交わした密約を暴いた「外務省機密漏洩事件」の主人公で、同省の女性職員との不倫問題が重なって、大きなスキャンダルを巻き起こした。澤地久枝がドキュメンタリーの「密約」、山崎豊子が小説「運命の人」を書いて話題にもなった。
当時のメディアが「機密」と「情実」のどちらをメーンに扱ったかといえば、圧倒的に「情実」だった。政府や検察がそのように仕向けたこともあったが、スキャンダル好きなメディアもそれに乗った。それに隠れ、政府はかたくなに「密約」の存在を否定し、後年、米国側が存在を認めてもなお、今現在に至るまで否定し続けている。ここまで来ると滑稽でしかないが、そのまま「歴史の闇」に埋もれさせようとしているのだろう。
西山氏をはじめ、当時の政府要人、国会議員、メディア関係者の多くがすでに鬼籍に入っているが、本来なら、事件の教訓を後代に生かし、国民をだますような情報操作は禁止するのが筋だ。しかし、その後も財務省の国有地売却事件や自民党の旧統一教会事件など、国民をバカにしたとしか思えない対応を重ね、それを恥じる風もない政府幹部らを見るにつけ、あの教訓はどこに行ったのかとタメ息が出る。
西山氏が「遺書」としていた自著「記者と国家」(2019年)の前文には、「戦後日本の国のかたちが、ここ60年という長期間において根底から変革された。(中略)自民党政権における一連の情報公開の制限が認定できる」とある。歴史に学ばない政権なら、おかしな方向に進むことも不思議ではないが、それで困るのは国民だ。監視の目が届かない国家権力が必ず独裁に行き着くことを歴史は教えている。(本)