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2022年12月13日

【ブック&コラム】防衛費論、先走りの危うさ

c221213.png 防衛費の議論がにわかに活気づいている。政府が「敵基地攻撃能力」を可能にすることも含めて、今後5年間の防衛費を現在の1.5倍の43兆円に増やす方針を決めたためだ。「攻撃能力」は憲法で定める「専守防衛」を逸脱する危険があり、防衛費の急増は「軍事大国」としての存在感を内外に広めかねない。軽々に決められる話ではないはずだ。

 さまざまな議論が噴出しているが、東アジアの現在の政治情勢をみれば、前提条件付きで「防衛力」の増強はやはり必要ではないかと思う。その前提条件とは外交力とのセット増強であり、もう一つはシビリアン・コントロール(文民統制)の担保だ。

 外交は「静かな戦争」と言われ、その能力増強は軍備以上に重要であり、戦争を「しない」ための最大のカギになる。戦後日本は外交も「米国の傘」にあり、外務省の事務次官より駐米大使の方がエライという現実をみても、いびつな外交力が際立ったまま現在に至っている。軍備は外交の後ろに控える"ボディーガード"に過ぎない。外交力強化の議論がまったくないのは片手落ちもいいところだ。

 もう一つの文民統制の必要性は、戦前日本を振り返れば一目瞭然。軍部に政治を占拠されればどうなるか、火を見るより明らかだ。では現在の政府・与党にそれだけの見識と覚悟があるかどうか。旧統一教会問題で鮮明になったが、自分の頭のハエも満足に追えない議員集団をみれば、とてもではないが「大丈夫です」と言える状況にはない。

 その意味で、覚悟を決めなければならないのは、現在の政府・与党を選んでいる国民ではないか。このまま十分な説明もないまま、内部だけで物事を進めるのは極めて危険であり、「平和国家」がいつの間にか骨抜きにされかねない。コトは費用の話だけでは済まないのだ。拙速な議論は厳に避けるべきであろう。(俊)

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