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2022年11月 3日

小岩広宣社労士の「人材サービスと労務の視点」147・戦後日本にみる働き方・家族のあり方

Q 女性の社会進出の加速や共働き世帯の増加によって働き方・家族のあり方が変わりつつありますが、戦後日本における変遷について簡単に教えてください。

koiwa1.png 国策としてジェンダー平等が叫ばれ、さまざまな分野で啓蒙や活動が進められていますが、労働の現場や生活の拠点における課題を整理するためには、学術的な分野における見解や成果に学ぶことも有用だと思います。日本における家族とジェンダー平等の変遷についてまとめられた論稿である、三成美保「『近代家族』を超える―21世紀ジェンダー平等社会へ」(『家族の変容と法制度の再構築』法律文化社、2022年)から、ごく簡単に該当部分の要旨を書いてみます。

 戦後の先進諸国においては「男性稼ぎ主」モデルはどの国でも強かったのですが、スウェーデンは1970年代にいち早く離脱し、1995年の北京行動綱領の「ジェンダー主流化」を取り入れたEU諸国では、「男性稼ぎ主」モデルから「両立支援」モデルへの転換が急速に進められました。日本においては高度経済成長期以降に「男性稼ぎ主」モデルが導入され、1980年代の「日本型福祉社会」のもとで強化されました。

 「日本型生活保障」は1970年代に確立し、年功序列型の賃金が家族扶養分をカバーし、所得控除が還元されることで扶養コストが維持されました。税投入による社会保険と「男性稼ぎ主」モデルが連動し、税・社会保険の仕組みと男性中心の雇用制度によって、先進諸国の中では例外的に専業主婦が増大し、社会的にも家庭における専業主婦の存在がポジティブに評価されるようになります。

 「日本型福祉社会」を補充する政策が矢継ぎ早に打ち出され、配偶者法定相続分引き上げ(1980年)、配偶者控除の限度額引き上げ(1984年)、パート所得の特別減税(同年)、第3号被保険者の創設(1985年)、所得税の配偶者控除創設(1987年)によって、専業主婦の「内助の功」に税・年金制度における特典が与えられることで、社会的な評価が定着することになりました。

 「1.57ショック」や「ゴールドプラン」策定を受けて1989年が家族政策の大きな転換点となり、1990年代以降は少子高齢化に対応する立法や政策が相次ぎます。この流れの中で「男女共同参画社会」の実現が目指されることになり、2020年の第五次男女共同参画基本計画にいたるまで、ジェンダー平等についてのさまざまな数値目標が掲げられましたが、国際的な動向と比較すると日本におけるジェンダー平等政策は停滞しているといえます。

 日本は「男性稼ぎ主」の安定雇用に力点を置いた生活保障を行ったことで低失業率を実現してきましたが、少子化対策が進展せず、家族給付が少なかった結果、高齢者向けの社会保障給付が多くなり、戦後に構築された男性の正規労働者(夫)と専業主婦(妻)というモデルによる性別役割分業の点で家族主義が強く、「家族支援指標」が低い点で、保守主義レジームの要素を持っているとされています(平成24年厚生労働白書)。

 女性の就労促進に関して、国連ではジェンダー平等による「女性のエンパワーメント」が目指されているのに対し、日本では「女性活躍推進」という形で経済に特化した「女性の活用」が期待されているため、ワークライフバランスにジェンダー平等が伴わない場合も少なくありません。ジェンダー平等のないワークライフバランスは、女性が家庭責任を背負い込む現状を加速することで、結果的に男女格差を拡大し、企業の業績も下げてしまうという指摘もあります。

 「人生100年時代」は、「仕事」のステージが長くなる未来であり、男女が等しく「仕事」ステージを充実させることが必要ですが、「人生100年時代構想会議」による「人づくり革命基本構想」「全世代型社会保障改革の方針」が示す未来図は、21世紀日本は、「ケアの権利」が保障されないまま、ケアを家族の「自助」に委ねる日本型「人生100年時代」政策が展開されているといえるかもしれません。

(小岩 広宣/社会保険労務士法人ナデック 代表社員)

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