東京オリンピックが終わった。新型コロナというパンデミック下で開かれた「異形の五輪」は、開幕前から世論は開催の賛否が大きく分かれ、ほとんどの競技が無観客という異例ずくめの五輪だった。アスリートたちが繰り広げた熱いドラマのお陰で、コロナでたまっていた欲求不満がしばし解消できたことは間違いないところだが、今回、感動の「余熱」ともいうべきものも急速に引いている気がする。
夢の大橋聖火台(東京都提供)
1964年(昭和39年)の東京五輪については、多くの作家やジャーナリストらが感想などを書き残しているが、それらを読むと当時でも開催には賛否があり、松本清張や開高健のようなシニカルな論調も少なくなかったことがわかる。
しかし、女子バレー金メダルの「東洋の魔女」に象徴されたように、競技を通じて日本の戦後復興を確信した人が多数派だったことも間違いなかった。三島由紀夫が「スポーツで涙を流したのはこれが初めて」と書き留めたのも、戦争体験者が抱いた心情を代表しており、「東京五輪=戦後復興」という大命題を疑う人は皆無だったと言っていい。
今回、その種の国家的な節目に相当するものは見当たらず、ある新聞は「57年後の日本に"東洋の魔女"はいなかった」と象徴的に語る。では、この五輪は何のレガシー(遺産)も残さないスポーツイベントに過ぎず、57年前の五輪はあくまでも特殊だったのか。これから、作家やジャーナリストたちの"評価"が大量に出回るであろう。時代状況を敏感に感じ取れる能力を持つ人たちだけに、その内容が楽しみだ。(本)