コラム記事一覧へ

2020年11月24日

【ブック&コラム】コロナ禍の欠礼状と年賀状

 この時期、知人から「喪中につき年賀欠礼」の知らせが舞い込む。ほとんどは親の死去に伴うものだが、中には配偶者、兄弟姉妹、子供というものまである。皆さん、どんな思いで近親者の最期を看取ったのだろうか。コロナ禍の第1波が押し寄せた当時、葬儀も思うにまかせなかったという有名人の話を思い出し、欠礼状の1枚1枚に思いを馳せてしまった。

c201124.jpg それにしても、高齢になるに従って年々欠礼状が増えるのに、出す年賀状はほとんど減っていない。どうしてかなと思ったら、本人は亡くなってもその家族からの賀状が来るうえ、まだ仕事をしているので仕事先からの賀状も結構増えて、全体の枚数は減らない勘定だ。知人の中には、出す手間が面倒になったのか、「今年をもって廃止」を宣言する人もいる。

 それも一つの考えだとは思うが、それこそ「日ごろのご無沙汰」を帳消しにする意味からも、私は簡単な近況を付けて出している。もらう立場になれば、機械印刷だけの無機質な賀状より、何か一言手書きを添えてある方が楽しいでしょう。近年は家族の写真を添える賀状も多く、年々大きくなるお子さんやお孫さんらの姿を"確認"するのも正月の楽しみだ。

 日本郵便が発行する年賀はがきは2003年の44.5億枚をピークに急速に減り続け、今正月用は23.5億枚に半減したという。人口減やメールの普及などを考えれば、それも当然だろうが、コロナ禍で人との対面機会が激減した今年は、せめて"人の匂い"のする年賀状を送ろうと思う。「字がヘタ過ぎて読めない」と苦情が来るのは覚悟のうえ。(俊)

PAGETOP