新元号の「令和」が発表された4月1日以来、新聞・テレビなどのメディアはなにを報道するにも「平成最後の」という枕詞を使い、ヘソ曲がりの私は「それがどうした。バカの一つ覚えみたいに」と毒づいてきた。
令和に対する国民の反応はまずまずのようだ。出典は大伴旅人の「初春令月、気淑風和(初春の令月にして、気淑く風和ぎ)」という梅見の宴会の歌。ホンワカした気分は平和な時代にふさわしいうえ、日本の国書、万葉集から初めて採用された点も評価されたのだという。
しかし、万葉集からの引用という点なら、戦前の軍歌(鎮魂歌説もあり)「海ゆかば」もそうだった。しかも、作者は旅人の息子の大伴家持だが、これは偶然か。旧日本軍の式典や負け戦の前奏などに使われ、例の「軍艦マーチ」の中間部でもアレンジされている。短い美しい旋律もあって私個人は嫌いではないが、戦前、戦中派の人々にはさまざまな思いを引き起こす歌のようだ。当然、戦後はタブー視された。
「海ゆかば」を考えれば、令和を「国書由来」というだけで評価するのは、やはり短絡的ではないだろうか。時々の国家情勢によって、権力に都合よく使われたのも「国書」だったことを忘れるべきではない。「平成最終日」のコラムとして……。うーん、言ってしまった。(俊)