コラム記事一覧へ

2018年12月25日

【書評&時事コラム(最終回)】「戦争」のなかった平成

 今年で「平成」は最後というわけで、メディアはさまざまな分野の「平成特集」を組んでいる。日本人にとって「元号」はやはり独特な意味を持つのだろうか。日ごろ西暦を使う仕事を長年してきたためか、元号にはほとんど興味のない私だったが、平成の30年を振り返ってみると、一点、大きなことに気づく。

 それは、明治の近代化以降、平成が初めて「戦争のない時代」だったということだ。明治時代は日清、日露の大戦があった。わずか15年しかなかった大正時代でさえ、第1次世界大戦でドイツから南方諸島や中国・青島を占領。そして、昭和の20年間は日中戦争、太平洋戦争、敗戦と続いた。

c181225.JPG 昭和は敗戦をはさんで「戦前」と「戦後」に区別されるのが普通であり、少なくとも「戦後昭和」からは対外戦争をしてこなかったから、元号だけで戦争の有無を考えても意味はないのかもしれない。しかし、軍事力、軍隊というものが国家制度や国民生活に根を下ろし、常に戦争への備えと生活が切り離せなかった時代と、「平和ボケ」と皮肉られながらも自分の人生を自分で決められる時代と、果たしてどちらがいいのか、言うまでもあるまい。
 
一方で、「日本を取り巻く軍事環境が変わった」という理由だけで、着々と軍事力の整備に努めてきたのも「平成」だった。「隣国にナメられるな」という粗雑な論調がまかり通る昨今、平成だけが「戦争のない時代」だったと歴史に残らぬよう、新元号下では平和指向が強まる時代にならなければいけない。(俊)

(「書評&時事コラム」は今回で終わりです)

PAGETOP