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2017年12月12日

【書評&時事コラム】「1968年」が問い掛けたもの

 千葉県佐倉市の国立歴史博物館で10日まで開いていた企画展「1968年~無数の問いの噴出の時代」に足を運んだ。1968年は私が大学に入った年。ベ平連や反公害などの社会運動、東大や日大を頂点とする全共闘運動の最盛期だった。

 元活動家が保存していた関連資料のうちから約500点が展示され、「日帝粉砕」「基地闘争勝利」などの漢字が踊る「ガリ切り」の檄文(げきぶん)が所狭しと並ぶ。これらの紙の量を合計すると、どれくらいになるのだろうか。ふと、そんなことを考えてしまった。

c171212.JPG 会場出口には企画展の「タテカン」があり、そこで記念撮影する趣向だ=写真。文字の大きさや形が往年を思い起こさせ、イヤでも学生時代を振り返るように仕向けている。「お前は企業に就職して、資本主義に加担するのか」「学問なんかしょせん、体制側の道具に過ぎない」。書物から抜き出した“理論”を、友人らとそのままぶつけ合い、議論した日々を思い出す。

 「来年は、1968年から半世紀になるんだよね。マスコミがまた、いろいろな特集を組むんじゃないかな」。記念撮影を終えた初老の男性の言葉を背中で聞きながら、「半世紀」という表現に引っ掛かった。当時、噴出した「無数の問い」も展示物の対象となり、半世紀後の「歴史」になるのか。自分の中では、まだ「終わっていない」のに。強い違和感を覚えながら帰途についた。(俊)

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