20年前の1997年11月24日、山一証券が自主廃業して破綻した。1週間前の北海道拓殖銀行の破綻と並んで、翌年の金融システム危機につながる、日本経済を窒息寸前まで追い込んだ一大経済事件だった。近年、関係者による回顧録や証言集などが出回り、社員たちを主人公にした小説がテレビドラマ化されたのは記憶に新しい。
その当時、私は新聞社の経済記者として、激しい取材活動に身を置いていた。だから、山一の破綻劇は今でも鮮明に覚えており、日本がこれからどうなるのか、個人的に言いようのない不安を抱えながら、有識者に話を聞いて回った。あれから20年と聞けば、やはりある種の感慨も沸く。
最近、急速に拡大している破綻劇の美談化に組する気はまったくない。山一は65年の証券不況時にも破綻寸前まで行き、日銀特融で救済された。それから30年後もバブルに踊り、株価頼みの経営体質になんら変化はなかった。コーポレートガバナンス(企業統治)の観点から言えば、歴代経営陣の怠慢と無能は明らかであり、「懲りない会社」のイメージはぬぐい難い。
ただ そうは言っても、その下で働いていた社員となると、知り合いも多かっただけに、その後の身の振りが気になった。無念の思いを抱きながら鬼籍に入った人もいれば、「お家再興」を目指して“新生山一”を立ち上げた人もいる。その意味で私も、山一破綻の“その後”に今も無関心ではいられない一人だ。(俊)