「未来の他者」をキーワードにした新潮流
著者・高澤 秀次
筑摩選書、定価1700円+税
著者は1952年生まれの文芸評論家であり、戦後70年を同時代として生きる中で、3.11大震災と原発事故の経験から、改めて戦後思想を再検証している。
著者によれば、戦後思想の巨人たち(吉本隆明、江藤淳、埴谷雄高、大西巨人ら)によって担われた、「戦争と革命」という20世紀的課題を主なテーマとした思想は、日本にとっては特殊なもので、急速にその影響力を失って終わったと言う。
その典型例は吉本隆明であり、「革命の否定神学」により共産党から新左翼までの「左翼」を徹底的に批判することによって、若い学生たちの圧倒的支持を得たが、「反核運動」を批判し続けたこと、地下鉄サリン事件の直前まで松本智津夫被告を「思想家」として評価したことなどから、自ら墓穴を掘った(第1章)。
「日本の五十五年体制の右舷を批評的に担った」故江藤淳の晩年は、「批評的には武装解除にも等しい心情に訴える『歌』の歌い手になっていた」という(第2章)。軍隊内の暗部を徹底的に描き、知力だけで闘いを挑む主人公を描いた戦後文学の金字塔『神聖喜劇』の作者・大西巨人もまた、福島原発事故を決定的な契機として、それまでの反原発派から原発推進派に転じて、著者をはじめ多くの人を失望させた(第3章)。
戦後思想の「巨人」たちをなで斬りにした後、著者が評価するのは80年代以降、表舞台に登場してきた哲学者・文芸評論家の柄谷行人(第4章)、社会学者の大澤真幸と上野千鶴子である(第5章)。つまり、「柄谷以降、すなわち1980年代以降、日本の思想・文学は、戦後的な段階をあっさり通り越してしまった」と言うのである。特に、原発事故を契機に大澤がたびたび言及するようになった「未来の他者」と言う概念に著者も注目する。
例えば、現在の当事者の利益のために核廃棄物の処理を未来に先送りする時、まだこの世に存在しない「未来の他者」の視点を導入する必要があるのではなかろうか。つまり、「テロとグローバリズムの時代」の諸問題を、我々の時代には解決できず、「未来の他者」にその解決を委ねざるを得ないのだとすれば、「われわれの選択は『未来の他者』の賛同を得られるだろうか?」と問うところから始める必要があると言う。日本の思想の過去と未来を考える上で、多くの示唆を与えてくれる1冊。 (酒)