「のほほんと生きていく」ための定年後論
著者・勢古 浩爾
草思社文庫、定価700円+税
著者は洋書輸入会社に勤務しながら文筆業を続けた、1947年生まれの団塊の世代“1期生”。2006年に34年間勤務した会社を退社し、定年後の生活に入り、その生活を綴ったエッセイを10年に出版。好評だったため、それを文庫にしたのが本書である。
その後、類似書が数えきれないほど出版されているが、本書は「定年後の楽しみ方」や昨今の「老人問題」といったテーマではなく、毎日を「ほんわかと生きる」という自身の信条から、日々さまざまな問題を抱えて生きている高齢者に対しても、ある種の安堵感と開放感を与えてくれる。
著者は、市内の公園のベンチに座って「ボーッと過ごす」ことを日課としており、この「一時が気持ちがいいのだ」と定年後ののんびり生活から書き始める。
続いて、「もう60歳」と考えるか「まだ60歳」と考えるかで、「心のリアル」は全く異なるし、定年後はもう人生のレールは敷かれていないのだから、「なにをしてもいいし、なにもしなくてもいい」という。以下、「さみしいからといって、それがなんだ」、「余命1年と思って生きる」、「貧乏でもほんわか生きたい」と続き、最後に「さわさわと風のように生きてみたいものだ」と結ぶ。
誰もが抱く定年後の不安は「お金、健康、生きがい」が三大テーマであり、メディアでも不安を煽る報道が多い。しかし、先のことを思い悩んでも仕方がないので、「終わり行く人生」や「老い行く体」としっかり向き合い、「一日一日を飄々と生きよう」というのが著者の立場である。
しかし、著者自身の生活は平均的な同世代人に比べると、かなり恵まれているように思える。これは著者も十分認識しており、後書きに「ガンを宣告されたこともなければ、本当に『一人ぼっち』になったこともなければ、ひりつくような極貧にあえいだこともなければ、手ひどい挫折に打ちのめされたこともない」と告白している。
多くの高齢者の悩みが本人の「お金、健康、生きがい」の問題だけではなく、家族・親兄弟の病気と介護であるという現実を踏まえると、著者の考えが「甘過ぎる」との批判はありえる。しかし、暗いばかりで「出口なし」の印象しか残らない類似書に比べると、本書には少なくとも高齢者を元気付ける力はある。 (酒)