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2014年8月21日

木曜日のつぶやき138・与えられし命の半生記②

ビースタイル ヒトラボ編集長 川上敬太郎氏

 なぜ、「天皇に戦争責任がある」と言い切れるのでしょうか?

 かろうじて受かった高校での授業。休み時間に入るなり、教諭にそんな質問をぶつけた。歴史ではなく物理の時間だったが、なぜか話が脱線して後半は天皇の戦争責任ついて教諭が持論を展開。そのままチャイムが鳴った。

c140821.jpg 職員室に戻ろうとする教諭をつかまえて質問を投げかけた態度は、明らかにケンカ腰だった。クラス中に、そんなんどうでもええやん、という空気が流れる中、教諭との一対一の議論が続いた。物事にはいろんな見方がある。一方的見解だけを説いていると感じて反発した。

 高校生活は楽しむことができなかった。学校教育への不信感も日に日に増していった。テレビで討論番組を見ても、虚妄と偽善にむしばまれているような印象しか受けなかった。学校の友人と話しても空虚な感じがして、卒業まで孤独感が消えることはなかった。

 目標が定まらないまま迎えた大学受験は散々だった。センター試験は得意だったはずの英語と数学で惨敗。浪人生となったものの、受験勉強は浪人1年目の夏まで。どうしても受験科目に真剣に取り組めなかった。

 受験勉強をやめた浪人生はやることがない。ひたすら本ばかり読む日々。結局、浪人生活は2年間に及んだ。特に志を持っていた訳でもなく、葛藤に任せてただ本を読みあさっていたその頃は、今でいうニートだったと思う。

葛藤の対象はいつしか、人生そのものの意味にまで広がっていった。

 このまま腐っていくくらいなら、受験などやめて働いた方が余程いい。徐々にそう思うようになっていた。しかし、働くと言っても自分に一体何ができるのか。出口は見えない。

 そんな新たな葛藤の中、立ち寄った本屋の「蛍雪時代」に目をやると、全国の大学の学部別受験科目一覧が出ていた。目を通すと、論文と面接だけで希望する学科を受験できる大学が全国に1校だけあった。その受験方式を自己推薦入試という。

 決められた正解ではなく、自分の考えが書けることの喜びが文章を通して伝わったのか、運良く受験をパスした。葛藤が解決した訳ではなかったが、人生の道がつながった。自己推薦入試という新たな選択肢がなければ、私の人生はそこで閉ざされていたかもしれない。

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