ビースタイル ヒトラボ編集長 川上敬太郎氏
3月の休日、行きつけの家電量販店のレジに長い行列ができていた。
買わなきゃ損とでも言わんばかりに並ぶ長い列。携帯電話の契約更新でやってきた私は、これが消費増税前の駆け込み行列かと他人事のように見つめていた。すぐに忘れてしまうはずの光景だったが、しつこく今も目に焼きついている。
それは、最近起きた事件と関係がある。
埼玉県富士見市で起きたベビーシッターの事件。2歳の男児の命が奪われた。この事件を知った瞬間、家電量販店の行列で見た多くの親子連れの姿がフラッシュバックした。
子どもの命を奪われた母親の喪失感、悲しみは想像するに余りある。しかし、見ず知らずの相手に子どもを預けた母親自身の姿勢にも疑問が投げかけられている。この事件は他人に子どもを預けざるを得ない社会の問題なのだという声もある。
そんな議論が過熱していくに連れて、被害者である男児の姿が霞んでいくような違和感を覚えた。
死に至るまでの間、どんなに苦痛だったろうか。どんなに怖かったろうか。「ママ~っ」と叫んだかもしれない。社会が思いを寄せるべきはこの子であるはずなのに、いつの間にか母親や社会の問題の方がクローズアップされている。
働く母親を取り巻く社会環境は厳しい。母親も犠牲者に違いない。しかし命を奪われたのは、他の誰でもない2歳の男の子。しわ寄せは必ず、最も弱い者の所に来る。子を持つ母にとって働きやすい環境を作ることは、母にとっても、社会にとっても必要であることは間違いないのだが……。
子どもの命が奪われたことが意味する重さ。
今月から消費税は8%になった。駆け込み行列はもう見納め。しかしこれからも、様々な場面で家族連れの行列を見るだろう。遊園地や動物園、おもちゃ屋さん。微笑ましいはずの光景の中に、命を奪われた2歳児の姿を見ることはないという事実が何よりも辛い。