いつか来た道?「戦争とジャーナリズム」論
著者・半藤 一利、保阪 正康
東洋経済新報社、定価1500円+税
「集団的自衛権」を中心にした憲法改正論議、特定秘密保護法の成立など、安倍政権の動きはこれまでの流れと異なる方向を目指している。これについて、ジャーナリズムはどう報じているのか。「権力のチェック機能」を自他ともに認めるメディアに対して、2人の対談は辛辣(しんらつ)極まりない。
2人は日本近代史、とりわけ昭和史の研究に関するジャーナリズムの大御所的存在。戦前の日本がなぜ太平洋戦争に突き進んだのか。軍部の専横をチェックすべき新聞、雑誌はなぜ「大本営」発表に屈服し、軍の宣伝機関に成り下がったのか。豊富な取材に基づいた事実を述べている。
対談によれば、当時の新聞、雑誌は軍部や政府の締め付けによってのみ、不本意ながら宣伝機関になったというわけではない。日本は満州事変(1931年)の勃発や翌年の血盟団事件、5・15事件あたりから急速に軍国化が進み、2・26事件、盧溝橋事件、皇紀2600年、太平洋戦争突入と続いた。その背景には軍事行動を支持し、国民の好戦意識を駆り立てる記事を書けば「売れる」という新聞、雑誌の商業主義体質があったという。
新聞、雑誌と言っても民間企業。反戦記事を出すと、在郷軍人会などの不買運動にさらされ、経営的に苦しくなる。そこにつけ込むように、反戦的な記者やライターを追い出すように仕向け、組織全体を“軍国企業”にしてしまう権力の巧妙な手口に、戦前のジャーナリズムは完敗したのだという。
こうしたいきさつを解説しながら、2人が気にするのは現代のジャーナリズムに対して。当時のような締め付けこそないものの、「売れる」商品づくりに血道を上げる商業主義は“健在”なことだ。一部雑誌の中国、韓国関連記事はそれを象徴している。「いつか来た道」をたどりはしないか、2人の危惧は非常に深い。
同時に、2人の意見が一致したのは、昭和史に対する現代の記者の不勉強ぶり。「何の予備知識もないまま、平気で取材に来る」とあきれ顔だが、それはないものねだりかもしれない。ほとんどの学校では近現代史を教えないし、インターネットの発達で表面的な歴史は手軽に知ることができる。「ジャーナリズムの基本ができていない」とカツを入れられそうだが、何で怒られるのか理解できる記者はまだまし?(のり)