在野評論家が「近代」を抜本的に問い直す
著者・渡辺 京二
平凡社新書、定価740円+税
著者は幕末・明治初期の外国人の訪日記録をまとめた名著『逝きし世の面影』(2005年)で、一躍有名になった熊本在住の評論家である。その著者が、熊本大学に招かれて行った講演録が本書。在野にあって、一貫して「近代」について考え続けてきた著者による、わかりやすくて含蓄に富む「近代論」であり、知的好奇心を刺激してくれる好書である。
一般に、近代とは「政治的にはフランス革命以降、経済的には産業革命以降、・・・つまり(19世紀の)資本主義社会の成立を以って近代と考えられている」が、著者は「今日では・・・資本主義の成立を16世紀に求めるのが学会の主流となっている」という「近代の時代区分」から説き興し、「近代と国民国家」(第1話)、「西洋化としての近代」(第2話)、「フランス革命再考」(第3話)と近代に関する基本的な要素を抜本的に問い直した上で、「近代とは何だったのか」(第4話)と問い掛ける。
著者によれば、近代の資本主義的市場社会は「生活の豊かさ、快適さ、便利さ」を実現したものの、「民族国家の拘束力がますます強化されるという呪いと、世界の人工化がますます進むと言う呪いが、痛切な問題として残る」と言う。ここまでの論理展開は極めてわかりやすく、説得的だが、処方箋となると「市場というものの利点を生かしながら、市場によって生活が振り回されることのないような経済システムをどう構築するか、考えかつ試みなければならない」という常識的な線にとどまっている。
ただ、左右どちらかのイデオロギーにとらわれた「近代論」が多い中で、一定のイデオロギーにはとらわれていない「近代論」であり、歴史・政治・経済・社会に興味を持つすべての人にとっての必読書であることは間違いない。 (酒)