ビー・スタイル ヒトラボ編集長 川上敬太郎氏
「恥ずかしいことはすんな。お天道様が見とる」。子供のころ親に教わった恥の美学。
9月はホームランにまつわる歴史的記録に縁のある月だ。1977年9月3日、巨人軍の王貞治選手は当時の世界新記録となる756号を放った。
1958年9月19日には、やはり巨人の長嶋茂雄選手が、ホームランを放ったものの1塁ベースを踏み忘れてアウトになるという珍事があった。この1本があだとなり、長嶋選手はルーキーイヤーでの3割・30本・30盗塁という前代未聞の記録を逃している。
そして1964年9月23日。王選手は年間55本という日本プロ野球記録を樹立した。
今年のプロ野球。東京ヤクルトスワローズのバレンティン選手の年間ホームラン数が55本に近づくにつれ、のどに刺さった小骨のごとく、今も心に引っかかっている子供のころの記憶が蘇ってきた。
1985年、阪神タイガースのバース選手が54本目のホームランを放った時点で、残り試合はあと2つ。その2試合とも巨人戦で、監督は王貞治氏。執拗な敬遠攻めでバース選手はバットを振ることすらできなかった。巨人ファンの私は、恥ずかしさのあまりテレビのチャンネルを変えた。
王監督は、敬遠を指示しなかったという。しかし事実として敬遠は行われた。敬遠した巨人の投手たちには王監督に恥をかかせられない、という思いがあったのだろう。
その行為に賛同はしないが、恥を忍ぶという言葉もある。
人材サービス事業者が、雇用にまつわる国の助成金を不正受給するニュースを時折耳にする。彼らはどういう美学を持っているのだろうか。もし恥を忍んでのこと、と言うなら、恥を忍んででも大切にしたかったものは何なのかを問うてみたい。
理念なき利己的行為など、美学なきただの恥だ。
バレンティン選手のホームラン記録を思う時、そこに関わってきた人々の恥の美学に対してもまた、思いを馳せずにはいられない。
恥ずかしいことはしないという美学と、恥を忍ぶという美学。相反する二つの美学は、利己的な心以上に大切にすべき何かがあるという点で共通している。それは、お天道様や先祖を崇敬する心だったり、守るべき道理だったり、その人の良心そのものに違いない。