ビー・スタイル ヒトラボ編集長 川上敬太郎氏
1947年5月3日、日本国憲法が施行された。翌年、その日が憲法記念日となった。
憲法という言葉に初めて触れたのはいつの日のことだったか。子供心に国民主権、基本的人権の尊重、平和主義という3大要素に、ある種の感慨を覚えた。日本は立派な国なのだと誇りを感じた。
その憲法の存在に違和感を覚えるようになったのは、戦後に作られた法律だと知ってからだったと思う。戦争で日本は敗戦国となり、GHQによる統治下で憲法は作られた。
平和主義についても、子供のころは何の疑問も持たずに賛成だった。もちろん、戦争を憎む気持ちはいまでも一緒だ。しかし、どれだけ平和主義を標榜しても、身に危険が迫った時に戦えなければ、国は守れないのではないか。
家族を持ち、父親となって、その疑念はより強くなった。
昨年12月に自民党政権となって以来、憲法改正論議がかまびすしい。日本の憲法を日本人が自らの手で検証することは至極当然のことだと考える。自分の家族が住む日本という国のあり方について、国民一人ひとりが考える良いきっかけになればと思う。
そんな日本国憲法も作成にあたっては、GHQ側から日本政府に対し草案の段階から何度も打診があったと聞く。事実ならば、天皇制の存続など非常にデリケートな課題について、当事者が直接意見を述べる場があったということになる。
そこでふと頭を過るのは、自身に身近な法律のこと。昨年10月1日に施行された労働者派遣法の改正経緯について、私にはアンフェアだったと思えてならない。公式な場における派遣元事業者の発言機会はないに等しく、法律の具体的な運用方法を決める労働政策審議会においても、派遣労働者を含めた真の当事者代表が不在のまま進められていった。
その結果として、日雇い派遣禁止例外の中に世帯年収500万以上という不可解なルールが定められたりしたことは象徴的だ。残念なことに、派遣法を改正して良くなったという声を全くと言っていいほど耳にしない。
今年で66回目を迎える憲法記念日。今やGWを構成する祝日の一つとして埋もれてしまっている感があるのが、なんとも遣る瀬無い。たまには真剣に憲法や法律のあり方について考えるGWというのもわるくない。