ビー・スタイル ヒトラボ編集長 川上 敬太郎氏
喜びと不安。今年のノーベル賞受賞を聞いて、2つの強い感情が同時にわき上がった。
京都大学の山中伸弥教授によって初めて作成されたiPS細胞。現在では不可能とされている医療処置の可能性が、今後、無限に広がっていくような期待がある。弱ったりがんに侵された臓器や、失った体の一部を再生したりできるかもしれない。
そんな素晴らしい細胞を開発したのが日本人であるというのは、掛け値なしに誇らしいことである。50歳という若さでの受賞も、その研究成果がいかに優れたものであるかを如実に物語っている。
しかし、と思う。
優れた成果によってもたらされるのは、本当に人々の幸せなのだろうか。もちろん、そうであってほしいと願う。病で苦しむ人を助けることに、異論がある人はいない。
気になるのは、新たにもたらされる「力」の使い方である。核分裂現象が発見された時、そこで生じる巨大なエネルギーを兵器に転用したことが、世界にどれだけの不幸をもたらしたことか。
受精卵の減失を前提とするES細胞と異なり、iPS細胞は倫理上の問題をクリアしたと言われる。それは本当に凄いことなのだが、iPS細胞を使って何をするか、については倫理上の問題も含め、これから大いに議論の余地がある。原子力のように善用も悪用もできるのだ。
力を持つということは、持った瞬間から責任も生まれるということである。
ノーベル賞受賞時の記者会見における山中教授の受け答えは素晴らしく、その責任を十分に認識してみえると感じた。しかし、技術が広まっていけばどうか。「力」がひとり歩きすると、とんでもない不幸へとつながっていく可能性を否定できない。
これは、生命倫理や原子力に限らず、社会のあらゆる場面に出て来る問題だ。
人材サービスでは、日雇い派遣の原則禁止によって日々紹介サービスを強化する動きが出ている。今までと少し趣が異なるのは、給与計算などの労務管理全般も代行するセットサービスになっている点だ。使い勝手をなるべく派遣に近くしようとしている。
信頼できる事業者だけが行う分には問題ないかもしれないが、その仕組みが安易に広がると労働者の不幸につながる可能性を否定できない。
大量の日雇い労働者をただ右から左へ流し、派遣ではないため紹介後については責任を負わず、今後の仕事紹介をエサに、何かあっても泣き寝入りさせるような悪徳事業者が暗躍する可能性が指摘される。
何かができるということは、力を持つということだ。その力をルールで制御するには限界がある。人間社会とは、かくも危うきものなのだ。
自覚なくして、真の進歩発展などありはしない。