ビー・スタイル ヒトラボ編集長 川上敬太郎氏
1990年代のバブル崩壊は国民に様々なインパクトを与えたが、その影響で銀行がつぶれたという事実が、当時の私にとっては大きな衝撃だった。
安全とはなんなのか。何を信じればよいのか。
起こるはずがないことが起こった時、人はパラダイム転換を強いられる。まだ学生だった私は、バブル崩壊を目の当たりにして依存状態ほど不安定なものはないということを本能的に察した。
依存状態が嫌ならば、山にこもって自給自足すればいい。しかし、それは社会と断絶することにつながる。そのような生き方も否定はしないが、たとえそれを実践できたとしても、自然の存在そのものに依存していることには違いない。
依存からの完全なる脱却を考え求めてもラチが明かず、一つの結論に至った。それは依存状態をゼロにするのではなく、依存度を極力低くすればよいという考え方。「依存=一つの選択肢への偏り」と定義するなら、選択肢を増やすほど依存度は低く抑えられるはず。それが依存からの現実的脱却なのではないかと。
依存からの脱却といえば、原発問題がある。これについても、問題の根本は原発しか選択肢がないという状況そのものにあるように思う。太陽光も風力も地熱も、なんらかの事情で原発に代わる選択肢となり切れていない。だから原発に依存する。
人類は初めて火を起こしてから進歩し続け、今や火星に人を送り込もうというところまで来ている。そんな人類の英知を用いて、原発に代わる発電手法の開発に取り組めば、人はきっと新たな選択肢を手に入れることができると信じる。そうやって人類は依存から脱却し、また新たな進歩を遂げるのだ。
そして「依存」と「選択」は、人材サービス業界にとっても重要なテーマに違いない。
長らくハローワークのみに依存してきた日本の労働市場は、86年の労働者派遣法施行に伴い、人材派遣という選択肢を得て新たな進歩を遂げた。
その後、バブルが崩壊し、ようやく立ち直ったと思ったら、今度はリーマン・ショックが起きた。それを機に人材派遣サービスは、不安定雇用の象徴として徹底的に追い詰められることとなる。さらに東日本大震災――。
苦難の連続にひん死の重傷を負いながら、それでも人材派遣業界は日本の労働市場に選択肢を提供し続けてきた。
派遣という働き方を否定し、正社員のみを善とする考え方は、雇用を守るという美徳の下で新たな依存を生む。人材派遣サービスが提供する選択肢は、苦難の中にあってこそ真価を発揮すると私は信じる。