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2012年6月 9日

【この1冊】『あつあつを召し上がれ』

人生を味わう短編小説

c120609.png著者・小川 糸 
新潮社、定価1300円+税

 

 あつあつの料理を、「ふぅーふぅー」と冷ましながら口に運ぶ。熱いけれど、できたての料理は格別においしく、心も体も温まり、思わず笑みがこぼれる。食べることは、楽しく、生きるためには欠かせない。ただ、やけどには注意したい。

 タイトルの『あつあつを召し上がれ』は、料理でもてなす時に添えられる一言。手間ヒマかけて、気持ちを込めて作った料理を最大限においしく食べてもらうための、料理人の“言葉のスパイス”ではないだろうか。

 本書は、人生をともにした料理や思い出の料理にまつわる7つの短編小説。みそ汁や父親のこだわり鍋、恋人と訪れた旅館での夕食などを題材に、「食べること」を通して、一品ずつ味わうように物語は構成されている。

 出てくる料理は、おいしいものに限らず、ほろ苦くて、おいしくないものもある。食事をおいしく表現することで定評のある著者だが、まさかの展開にピリリとサンショも効かせる。人生を表現しているようでもあり、「おいしい」だけでは終わらない味わいは、読み手を飽きさせない。

 「いとしのハートコロリット」は、2人が出会った思い出のレストランへ行く老夫婦の話。出かける準備から、レストランへの道筋、思い出の料理をほおばるシーンまで、仲むつまじく、甲斐甲斐しく夫の世話をする妻。出会ったころの思い出話も織り交ぜながら、老夫婦のデートは始まるが、一転、現実へ引き戻される――。妻は過去の記憶を失ってしまっているけれど、夫婦の思い出の味は決して忘れることはなく、しっかりと胸に刻み込まれていた。

 1話が約20ページで、あっという間に読み終えてしまうが、どれもが“濃い目”の味付けで、読み応えがある。自分にとっての特別な料理を思い浮かべながら読み、これまでの人生を味わいたい。 (聰)

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