「オペラ解説」を超えている解説書
『オペラ・シンドローム~愛と死の饗宴』
著者・島田 雅彦
NHKブックス、定価970円+税
題名のとおり、本書はオペラに狂った作家のオペラ作品評論集。2年前に出た書だが、むずかしい哲学評論より断然おもしろい。モーツァルトの「ドン・ジョバンニ」など9本を取り上げ、ストーリーをまじえながら言いたい放題。というか、一流作家らしいユニークな視点ものぞかせる一種の文学論になっている。
なんといっても、おもしろいのはワーグナーの「トリスタンとイゾルデ」。男性ファンの間では、古くから「トリスタンを聞いて立たないヤツは音痴だ」という俗説がある。あまりにヒンがないから公言しないだけだが、このオペラが全編アレの賛歌だという説を、著者は否定する。
それはワーグナーが作った「音楽的媚薬」「極上なる催眠」であり、延々と続く2人のデュエットと無限音階は、単なる性愛を超越した人間の奥底にひそむ無意識をオーガナイズしたもの。わかりそうで、わからない。トリスタンを聞くと眠くなるのは、そのためだそうだ。確かに、全編にわたって舞台は暗く、それはわかる。
ついでに、それを言うならラベルの「ボレロ」こそがぴったりの曲であり、演奏時間が1回のアレと大体同じという説も紹介しているが、そんなデータ、あるのかいな。それはともかく、著者はどうもマジメくさったドイツオペラはお好きでないようだ。
もうひとつ、おもしろいのはプッチーニの「マダム・バタフライ(蝶々夫人)」。オペラ自体はあまりにポピュラーで、美しい旋律と悲劇に酔っていればいいが、これに触発されて著者と三枝成彰氏がタッグを組んで、続編オペラ「ジュニア・バタフライ」を作っちゃったという話。
蝶々夫人はピンカートンに子供を引き取らせた後に自決するが、続編はその子供が主人公。成人して米国務省の役人となって開戦前夜の日本に赴任。日本人女性と結婚するが、女性は夫の母(蝶々夫人)がいた長崎を訪ねた際に被爆して死ぬ。
「二つの祖国」も「原爆」も、日本人心理にはかなり微妙なものを含んでおり、筋書きだけ読むと単純なパロディーで済ませられないものがありそうだ。そんな深刻な社会テーマがオペラになるのだろうか。評者は以前、新聞で読んだだけでまだ作品に接したことはないが、この秋の楽しみがひとつ増えた。
なお、本書をおもしろおかしく読むには、該当作品を1~2回見てからの方がいい。著者の言わんとすることがわかってニヤニヤできる。よって、電車の中などでは読まない方がいいかもしれない。 (のり)