「美しい日本」になれなかった?戦後
『三島由紀夫と司馬遼太郎』
著者・松本健一
新潮選書、定価1200円+税
東日本大震災と福島第1原子力発電所の事故は、戦後日本が歩いてきた経済立国としての自信を失わせ、とりわけ原発事故は経済立国を支える科学技術への信仰を根底から覆した。「美しい日本」の面影を色濃く残していた東北沿岸部は、津波でその形相を変えてしまった。
戦後日本はどこで、どう間違えたのだろうか。本書は三島由紀夫と司馬遼太郎という対照的な作家を取り上げ、両者の世界を対比することで、戦後日本の精神史を浮き上がらせた。
同世代でありながら、ロマン主義者の三島とリアリストの司馬の世界は180度異なっているが、著者は1970年11月25日に三島が自衛隊本部で自決し、司馬がその翌日に毎日新聞に載せた追悼批評文の中に精神的な“接点”を見出して論を進めている。
登場するのはこの2人だけではない。西郷隆盛と大久保利通、河井継之助と小林虎三郎、吉田松陰と高杉晋作、乃木希助と児玉源太郎など、日本近代史に欠かせない「ライバル物語」の人物たちに、朱子学と陽明学の根本理念をかぶせて対比させる。三島と司馬がどちらのタイプに属するか言わずもがなだが、ベテラン思想史家ならではの豊富な知見で読む者を引きつける。
著者自身は2.26事件の精神的主導者とされた北一輝研究の第一人者であり、司馬が北を嫌った(それは明治大好きの司馬にすれば当然だが)ことに一種心外な気分を持っているようだ。心情的にも三島への傾倒がにじみ出ており、三島が高度成長期のさ中に「からっぽな戦後日本」と批判して独自の道を進んだことに強いシンパシーを感じているのが見て取れる。
読む方がどちら側に立つかはともかく、両者の「戦後最大の対立構図」を頭に入れながら、日本の行き着いた先は…と考えると、2人の慧眼(けいがん)に新たな衝撃を覚える。いや、「行き着いた先」などと結論を出すのはまだ早いか。 (のり)